エンパシー

昨日彼氏に何気なく、私に求めるものがあるとしたらなに?と聞いたらエンパシーと答えをくれた。

エンパシーって知ってる?わかる?と言われた。

わからないかもしれない。

彼氏もわからないと言う。僕にはないねと言う。

でも、ないから、人に求めるんじゃない、と。

 

大学生の頃は、自分で人と関わらないことを選択することができたけど、仕事ではそうはいかない。私ではわからないことや決められないことがたくさんある。

だから嫌でも人と関わらないといけない。

正直仕事の内容的には嫌じゃないけど、人と関わるのが億劫で、それを前面に出して、いつものように全部シャットアウトしてしまいたい。

 

長期的視点()で物事を見れる人間になったので、そんなことはしないけれど。

 

 

仕事をして思ったのは、どんなに仕事のできる人でも、高学歴な人でも、詰まるところ"お気持ち"に寄り添って欲しくて仕方ないんだなあということである。エンパシーーーーーー

 

簡単に言えば、"私はこんなに大変だった"とか、"こんなにがんばった”とかを認めてほしくてたまらない。

可視化、数値化できないそういうことを、パブリックな場でいい年した大人が言っていても仕方ないと思うのだけど。無駄でしかないと思う。心の底からそう思う。

 

がんばったら、努力したら、許してもらえる世界で生きてきた人間が大嫌いだと彼氏は言う。

私もそう思う。

 

それなのにエンパシーがほしいとは、なにを考えているのか。

 

私は0か100かな性格で、自分の目指すものや状態が手に入らなければ投げ出すし、興味がなくなってしまう。どうでもよくなってしまう。

自分の想像を超えて相手が努力してくれていることに思い至っても、自分で見定めた要素がどれか一つ欠けてしまうと、全部信じられなくなってしまう。

 

折り合いの付け方がわからない。

そもそもどの程度で折り合うのか想像がつかない。

 

今日も、ランチミーティングを楽しみに午前中を乗り切りました⭐️と言っている人を横目に、私は一人でご飯を食べていたのだけど、彼氏には私なりのエンパシーを渡していきたいなと思う。

ブログにはじめて彼氏のこと書いた。キモ。