テイエムオペラオー

私が一番最初に競走馬の名前として記憶した馬の名前はテイエムオペラオーだった。単純に、オペラオーという名前が、あ、音楽だ!となっただけである。

競馬学校華の12期生の一人であった和田竜二は、テイエムオペラオーとのコンビで2000年の京都記念から有馬記念まで連勝した。そして昨年の宝塚記念ではミッキーロケットに騎乗して、オペラオー以来のJRAのG1勝利だった。和田とオペラオーのように、この2人ではないと成し得ないことをやってのけるコンビ、見ていてオーとなる(語彙力)

 

私が競馬を始めてしまった2017年、JRAはルメデム一色で、武のすごさを目の当たりにしないままです。JRAでは和田、福永等華の12期生と呼ばれた人たちも、今は隠れてしまいがちだし、競馬ファンではなくても知っている武でさえ埋もれてしまうし、騎手としての華ってほんのほんの一瞬なんだなあと思います。衰えは本人が一番実感するだろうし、それが気のせいではなかったと思わざるを得ないとき、どんな気持ちなんだろう。

私は細く長く生きるための努力ができないししたくないから人生の華の時期を謳歌して早く隠遁生活をしたいんだけど、そもそも人生の華の時期はまだ来てない!となっている時点で、ダメなんですよね。華を掴み取るにも、華だと実感するためにも、やはり努力をしないといけない。

 

めんどくせぇ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなこと考えないで、適当な人に選んでもらって適当に結婚して、人生を正しく緩やかに進めればいいじゃないと言われるかもしれないけど、私はそんなぬるぬる生きたくないので、華を掴み取れるように努力()をしてみたい。結婚は人生の停滞だし子どもに残りの人生を託すのはなんだか気持ち悪いし、私は私の人生しかいらない。(才能がないのに人生を停滞させられない実験用モルモット並感)

 

10年後、婚活おばさんになっていたら殺してください。アフリカの子どもたちにでも臓器をあげてください。使い物になれば。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マ!ジ!で!!!

結婚なんて結果なのにイキナリ結果を求めて婚活垢()とかやっているなら、絶対アフリカの子どもたちに臓器提供した方が、少なくとも来世で報われるっしょ

 

 

 

 

 

 

婚活おばさんにブチ殺されそう。夜道歩くときは気をつけます。頼むから一発で殺してください。

 

 

 

 

 

 

 

なんだかんだ、私は今が華かもしれない。実家に帰らなくていいし。親と関わらなくていいし。楽器ができるし。

この前母親にイスラーム系の本を見られてガチでドン引きされた。絶対大学院いきたいとか言えてたとしても、"わけのわからないことやらないで!"って騒ぎ出すじゃん。歳をとると自分の知識を超えた世界があることを認識できなくなってしまうのはだれもがなることみたいなので、やっぱり華を掴んではよさよならしたいなあ。