コストとカウント

今日は競走馬の名前が思いつかなかったので。

また久しぶりになってしまった。GW最後の日に地方競馬に手を出し、3連単を当てるという快挙(?)を遂げてしまったので相変わらず競馬はやめられていない。と、いうかやめる気がない。

何が好きか嫌いか、どうしてそれに自分の感性がひびくのかというのは、何の根拠もないんだけど、そしてそれでいいんだけど、それをどう言葉にするかに私は非常に興味がある。

私が競馬が好きな理由は、いつかも書いた気がするし、そこから変わっていないんだけど、"何もかも要素にすぎない"と思わせてくれるから。

 

馬は楽器で、騎手は演奏家で、音楽に似ているとも思う。

 

 

私のコンプレックスは家族。それ以外にない。今の自分の状況は良かれ悪かれ自分のせい(おかげ)だし、ほげぇ〜と言う他ない。過去のある地点の私はその時期なりの自分にはこれ以上できない行動をしてきているはずである。私は早く寝ることも料理もヴァイオリンも放棄して、たらたらとこんな文章を書くのが精一杯なのだ。

 

家族は違う。自分の努力要素ではどうにもならないし、否応なしに存在しているし、家族はいつだってわかりあえるし助け合うし「自分の娘がかわいくない親なんていない」とされている。しんどい。その言説にそぐわない家族には普通の家族と同じような角度からの視点は当てられない。しんどい。家族、関係の維持コストの高い最もたるものでは。

 

たとえば人生のある瞬間にどんなにだれかが好きでも、その人との接触頻度が低くなればそのうちに忘れてしまう。いや、忘れないから💢ってなるかもしれないけど、会わなくても平気になってしまう。人生に画鋲をさして、忘れなくするために結婚したがるのかなあ。みたいに思った。

私はだれかのオンリーワンになりたくない。ある瞬間にオンリーワンだと思った責任を一生背負うなんてむりだし、パーっと遊んでサクッと死にたい。たまごっちを育てたり、ダッフィーに新しい服を着せたくなったりするような感覚で、余裕(?)が出てくると子育てをしたくなったりするんだろうか。私は自分にしかお金をかけたくないし、こういう考えはいつか変わるんだろうか。だれにもカウントされたくない。

 

ヴァイオリンやってねっぞ