文系不要論について何か意見が持ちたい
私の2020年の目標。
私立文系なので😅(てへぺろ)というお家芸ができる点かなあ。(違う)
私の専攻は思想史である。
すっかり140字のインスタントな意思表示(?)に馴染んでしまったけど、私は言葉に興味がある。
その人が何かに対してどんな感情を持ってそれに対してどんな評価をするのか、そのためにどんな言葉を使うのか、そこにたまらなく興味がある。
もちろん、その言葉のチョイス、感覚に正解不正解なんてないんだけど。
でも、言葉のチョイスにはその人の隠しきれないいろんな感覚や経験が無意識に出る、と思うし、それがおもしろい。
そんな風にいまだに考えているけど、私には言葉が全能だと思っている節が間違いなくあったし、今もあると思う。
たとえば、本人はしたくても言葉にできない時があるし、言葉にしない方がいい時もある。
私は言葉にできない、表現が思いつかない、みたいな感覚があんまり理解できなくて、それで勝手に相手を見定めてしまうところがあるから、もっと想像力がほしい。
もう一点、(自分なりに丁寧に)言葉にすれば必ず相手に誠意として伝わる、と謎の自信があったんだけど、その言葉はあくまで自分の言葉なのであり、それが自分の意図として相手に伝わるなんて傲慢甚だしい。
そんな反省があるのだけど、言葉は思想である。制度・政策・社会の流行り等には必ず、それが生まれる所以たる思想がある。
私はそんなものに変わらず興味がある。
そもそもなぜ文系不要論に意見を持ちたいのか。
それは、生粋の文系(私立文系文学部)の私が、現状として文系不要論に対し「それな。いらなくね。ワロタww」くらいしか思わないからである。
私は将来博士(史学)をとりたい。自分の自己満足の極みとして。延々と、制度や政策の中に潜む、社会の底に存在する思想について考えていたい。自分のやっていること、やりたいことを突き詰める一環として、文系不要論に対して意見を持ちたい。
すくなくとも、これを書いている今現在、私は、暗記を楽しめない人はそもそも文系(少なくとも史学)には向かないのでは、くらいしか意見がない。
休みがあと3日なのに部屋の掃除を一切してないし、今年のグラコロの発売期間長くね。
あと小説を読みたいな。私が小説を読まなくなった理由、文系不要論に通ずる気がしてしまう。なんの知識も得られない的な。
"そういうこと"じゃないんだ。それを言葉にしてみたい。